2008年03月30日
「らき☆すた」で地域活性化!
幸手市は良いキャラクターを持っていて、羨ましい!!
幸手市HP
石井酒造㈱
鷲宮神社HP
「らき☆すた」オフィシャルサイト
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【らき☆すた (マンガ)】
【らき☆すた (アニメ)】
【鷲宮神社】 ≪意外や出雲系!!≫
鷲宮神社関連のYou Tube映像
◎毎日新聞(2008/03/28)
らき☆すた:街路灯パネルにキャラクター採用 “萌え”一色に 埼玉県幸手市
人気アニメ「らき☆すた」の主人公こなたの実家のモデルとなった埼玉県幸手市で、街路灯のパネルに同アニメのキャラクターが採用されることが分かった。第1弾として今月中に、市内にある約530基の街路灯のうち100基の支柱にキャラクターを描いたパネルを設置し、4月上旬にも別デザインのパネルを追加。最終的には市内の半数の街路灯に設置する予定で、町は“らき☆すた一色”になるという。
同市環境整備組合連合会と商工会による町おこしの一環で、これまでにもキャラクターの携帯ストラップや、特製ラベルの日本酒が市内の酒店などで限定販売されている。街路灯の支柱に設置されるパネルはバックライトで歩行者を照らす。これまではアクリル板に桜の模様が描かれていた。イラストは、こなた、かがみなどメーンキャラクターを描いたものなど8種類で、4月上旬には、みさお、ゆたかなどサブキャラクターを描いたパネル8種類を追加する。1基だけ特別なイラストにして、ファンに探してもらうなどの企画も検討しているという。
「らき☆すた」は、月刊誌「コンプティーク」などで連載中の美水かがみさんの4コママンガが原作。アニメやゲームが大好きでオタクトークを繰り広げる女子高生のこなたと仲間たちの学園生活をコミカルに描き、昨年、アニメ化されて大ヒット。作品に登場する神社のモデルとなった同県鷲宮町の鷲宮神社には、“聖地巡礼”と称してファンが詰めかけ、今年の初詣ででは約30万人が参拝。同町商工会が販売したオリジナルグッズも売り切れが相次いだ。【立山夏行】
2日に行われたアニメ「らき☆すた」が描かれた街路灯除幕式の様子=幸手市商工会提供

◎毎日新聞(2008/03/24)
らき☆すた:埼玉・幸手市の老舗蔵元が特製ラベルの日本酒を限定販売
人気アニメ「らき☆すた」の主人公こなたの実家のモデルとなった埼玉県幸手市にある1840年創業の老舗蔵元「石井酒造」が、アニメキャラクターをラベルに描いた日本酒「豊明」を25日から同市内の酒店やスーパーなど約15店舗で販売することが分かった。計1000本限定で、720ミリリットル 1050円。
同市商工会は昨年から、地元特産品を活用した関連商品作りに取り組んでおり、町おこしの一環として数年前に栽培が再開された「白目米」を使った「豊明」を採用。こなたら4人のメーンキャラクターはいずれも未成年のため、こなたのいとこで、女性警察官の成実ゆいと担任の黒井ななこの2人の成年キャラクターもラベルに加えたという。花見の名所として知られる権現堂桜堤の桜まつり物産販売所でも27日から販売する。同市商工会では「らき☆すたのお酒で花見を楽しんでもらえれば」と話している。購入時には免許証など年齢を確認できるものが必要。
「らき☆すた」は、月刊誌「コンプティーク」(角川書店)などで連載中の美水かがみさんの4コママンガが原作。アニメやゲームが大好きでオタクトークを繰り広げる女子高生こなたと仲間たちの学園生活をコミカルに描き、07年にアニメ化されて大ヒット。作品に登場する神社のモデルとなった同県鷲宮町の鷲宮神社には、“聖地巡礼”と称してファンが詰めかけ、今年の初詣ででは約30万人が参拝。同町商工会が販売したオリジナルグッズも売り切れが相次いだ。【立山夏行】
25日から発売される「らき☆すた」のキャラクターが描かれた日本酒「豊明」



ラベル表

ラベル裏

◎毎日新聞(2008/03/18)
らき☆すた:柊姉妹の“住民票”交付式開催へ 全国からバスツアーも 埼玉・鷲宮町
人気アニメ「らき☆すた」の舞台のモデルとなり、「聖地巡礼」としてファンが詰めかけている埼玉県鷲宮町で4月6日、同町に“住民登録”された柊かがみ・つかさらの特別住民票交付式が開かれることが明らかになった。交付式にはかがみ役の声優、加藤英美里さんとつかさ役の福原香織さんも参加、合わせて開催されるファン感謝祭イベントのため、全国からバスツアーも開催される。
「らき☆すた」は、オタクな女子高生の泉こなたたちの日常を、アニメやマンガのパロディー満載で描いたアニメで、07年4月から放送されて大ヒットを記録。人気キャラの柊かがみ・つかさの双子姉妹の実家となる「鷹宮神社」のモデルが同町の鷲宮神社だったことから、ファンが集まるようになり、08年の初詣でに約30万人が参拝する盛り上がりを見せた。かがみらと両親ら柊一家のキャラを“住民登録”し、特別住民票を発行するなど町おこしの取り組みを展開している。
イベントは、同町商工会が、神社前の茶店「大酉茶屋わしのみや」の3周年感謝祭として企画していたもので、町を盛り上げてくれたファンへの感謝祭に変更、「特別住民票」の先行交付式も行われることになった。また、07年12月に同神社で開かれたイベントに行けなかったというファンの声が多かったため、大手旅行代理店「近畿日本ツーリスト」がツアーを企画。出発地は、新大阪、名古屋、静岡、東京のJR各駅で、「特別住民票」と隣接する幸手市が制作した桐のストラップなどのらきすたグッズ付き、現地で柊姉妹特製弁当とこなたの大好物のチョココロネも味わえる。問い合わせは同ツーリスト(03・ 6730・3222)。【立山夏行】
アニメ「らき☆すた」のバスツアーで配られる「特別住民票」


◎毎日新聞(2007/12/02)
らき☆すた:鷲宮神社「公式参拝」にファン3500人集まる 人気アニメで町おこし
オタクの女子高生と仲間たちの学園生活を描いて大ヒットしたテレビアニメ「らき☆すた」のモデルとなった埼玉県鷲宮町の鷲宮神社で2日、原作者の美水かがみさんと今野宏美さん、白石稔さんら出演声優らによる「公式参拝」が行われ、約3500人の熱心なファンが詰め掛けた。
「らき☆すた」は美水さんが月刊コンプティークなどで連載中の4コママンガが原作のアニメで、オタクの泉こなたと柊かがみ・つかさの双子姉妹ら女子高生たちの日常を、さまざまなアニメやマンガのパロディーを交えながら描いている。アニメのヒットに合わせ、作品に登場する「鷹宮神社」のモデルが鷲宮神社であることが明かされると、「聖地巡礼」と称して多くのファンが詰めかけ絵馬を奉納するようになった。
イベントは、神社に隣接する同商工会の直営店「大酉茶屋わしのみや」で、割ぽう着に身を包んだみのる役の白石さんをはじめ、あきら役の今野さん、かがみ役の加藤英美里さん、つかさ役の福原香織さんの4人が接客し、こなたの大好物のチョココロネなど作品に関連した特別メニューを来店者にふるまった。その後、美水さんと出演声優陣は、鷲宮神社で絵馬や玉ぐしを奉納し、作品の明るい未来を願った。
同商工会によると、午前5時ぐらいファンが来場し始め、同7時半ごろには定員の約200人を超える列ができたといい、同日先行発売されたキャラクターのイラスト絵馬付きストラップも用意した2100個が完売する大人気となった。来場者も東京都、埼玉県など近郊のファンだけでなく、広島県から来たという男性や、作品のキャラクターを描いたユニークな自動車「痛車」で京都から来たという男性もいた。また、多くの来場者の人員整理は、「らき☆すた」ファン十数人がボランティアを買って出たといい、「特に大きな混乱もなかったが、ボランティアのおかげだと思う。絵馬ストラップも列を作った来場者には少なくとも1個は販売できたので、思い出にしてもらえたのではないか。明日以降は、商工会の加盟店でも販売するので、また鷲宮に足を運んでもらえれば」と話している。【立山夏行】
鷲宮神社を「公式参拝」したアニメ「らき☆すた」の出演声優陣。(左から)加藤英美里さん、福原香織さん、今野宏美さん、白石稔さん
幸手市HP
石井酒造㈱
鷲宮神社HP
「らき☆すた」オフィシャルサイト
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【らき☆すた (マンガ)】
【らき☆すた (アニメ)】
【鷲宮神社】 ≪意外や出雲系!!≫
鷲宮神社関連のYou Tube映像
◎毎日新聞(2008/03/28)
らき☆すた:街路灯パネルにキャラクター採用 “萌え”一色に 埼玉県幸手市
人気アニメ「らき☆すた」の主人公こなたの実家のモデルとなった埼玉県幸手市で、街路灯のパネルに同アニメのキャラクターが採用されることが分かった。第1弾として今月中に、市内にある約530基の街路灯のうち100基の支柱にキャラクターを描いたパネルを設置し、4月上旬にも別デザインのパネルを追加。最終的には市内の半数の街路灯に設置する予定で、町は“らき☆すた一色”になるという。
同市環境整備組合連合会と商工会による町おこしの一環で、これまでにもキャラクターの携帯ストラップや、特製ラベルの日本酒が市内の酒店などで限定販売されている。街路灯の支柱に設置されるパネルはバックライトで歩行者を照らす。これまではアクリル板に桜の模様が描かれていた。イラストは、こなた、かがみなどメーンキャラクターを描いたものなど8種類で、4月上旬には、みさお、ゆたかなどサブキャラクターを描いたパネル8種類を追加する。1基だけ特別なイラストにして、ファンに探してもらうなどの企画も検討しているという。
「らき☆すた」は、月刊誌「コンプティーク」などで連載中の美水かがみさんの4コママンガが原作。アニメやゲームが大好きでオタクトークを繰り広げる女子高生のこなたと仲間たちの学園生活をコミカルに描き、昨年、アニメ化されて大ヒット。作品に登場する神社のモデルとなった同県鷲宮町の鷲宮神社には、“聖地巡礼”と称してファンが詰めかけ、今年の初詣ででは約30万人が参拝。同町商工会が販売したオリジナルグッズも売り切れが相次いだ。【立山夏行】
2日に行われたアニメ「らき☆すた」が描かれた街路灯除幕式の様子=幸手市商工会提供

◎毎日新聞(2008/03/24)
らき☆すた:埼玉・幸手市の老舗蔵元が特製ラベルの日本酒を限定販売
人気アニメ「らき☆すた」の主人公こなたの実家のモデルとなった埼玉県幸手市にある1840年創業の老舗蔵元「石井酒造」が、アニメキャラクターをラベルに描いた日本酒「豊明」を25日から同市内の酒店やスーパーなど約15店舗で販売することが分かった。計1000本限定で、720ミリリットル 1050円。
同市商工会は昨年から、地元特産品を活用した関連商品作りに取り組んでおり、町おこしの一環として数年前に栽培が再開された「白目米」を使った「豊明」を採用。こなたら4人のメーンキャラクターはいずれも未成年のため、こなたのいとこで、女性警察官の成実ゆいと担任の黒井ななこの2人の成年キャラクターもラベルに加えたという。花見の名所として知られる権現堂桜堤の桜まつり物産販売所でも27日から販売する。同市商工会では「らき☆すたのお酒で花見を楽しんでもらえれば」と話している。購入時には免許証など年齢を確認できるものが必要。
「らき☆すた」は、月刊誌「コンプティーク」(角川書店)などで連載中の美水かがみさんの4コママンガが原作。アニメやゲームが大好きでオタクトークを繰り広げる女子高生こなたと仲間たちの学園生活をコミカルに描き、07年にアニメ化されて大ヒット。作品に登場する神社のモデルとなった同県鷲宮町の鷲宮神社には、“聖地巡礼”と称してファンが詰めかけ、今年の初詣ででは約30万人が参拝。同町商工会が販売したオリジナルグッズも売り切れが相次いだ。【立山夏行】
25日から発売される「らき☆すた」のキャラクターが描かれた日本酒「豊明」



ラベル表

ラベル裏

◎毎日新聞(2008/03/18)
らき☆すた:柊姉妹の“住民票”交付式開催へ 全国からバスツアーも 埼玉・鷲宮町
人気アニメ「らき☆すた」の舞台のモデルとなり、「聖地巡礼」としてファンが詰めかけている埼玉県鷲宮町で4月6日、同町に“住民登録”された柊かがみ・つかさらの特別住民票交付式が開かれることが明らかになった。交付式にはかがみ役の声優、加藤英美里さんとつかさ役の福原香織さんも参加、合わせて開催されるファン感謝祭イベントのため、全国からバスツアーも開催される。
「らき☆すた」は、オタクな女子高生の泉こなたたちの日常を、アニメやマンガのパロディー満載で描いたアニメで、07年4月から放送されて大ヒットを記録。人気キャラの柊かがみ・つかさの双子姉妹の実家となる「鷹宮神社」のモデルが同町の鷲宮神社だったことから、ファンが集まるようになり、08年の初詣でに約30万人が参拝する盛り上がりを見せた。かがみらと両親ら柊一家のキャラを“住民登録”し、特別住民票を発行するなど町おこしの取り組みを展開している。
イベントは、同町商工会が、神社前の茶店「大酉茶屋わしのみや」の3周年感謝祭として企画していたもので、町を盛り上げてくれたファンへの感謝祭に変更、「特別住民票」の先行交付式も行われることになった。また、07年12月に同神社で開かれたイベントに行けなかったというファンの声が多かったため、大手旅行代理店「近畿日本ツーリスト」がツアーを企画。出発地は、新大阪、名古屋、静岡、東京のJR各駅で、「特別住民票」と隣接する幸手市が制作した桐のストラップなどのらきすたグッズ付き、現地で柊姉妹特製弁当とこなたの大好物のチョココロネも味わえる。問い合わせは同ツーリスト(03・ 6730・3222)。【立山夏行】
アニメ「らき☆すた」のバスツアーで配られる「特別住民票」


◎毎日新聞(2007/12/02)
らき☆すた:鷲宮神社「公式参拝」にファン3500人集まる 人気アニメで町おこし
オタクの女子高生と仲間たちの学園生活を描いて大ヒットしたテレビアニメ「らき☆すた」のモデルとなった埼玉県鷲宮町の鷲宮神社で2日、原作者の美水かがみさんと今野宏美さん、白石稔さんら出演声優らによる「公式参拝」が行われ、約3500人の熱心なファンが詰め掛けた。
「らき☆すた」は美水さんが月刊コンプティークなどで連載中の4コママンガが原作のアニメで、オタクの泉こなたと柊かがみ・つかさの双子姉妹ら女子高生たちの日常を、さまざまなアニメやマンガのパロディーを交えながら描いている。アニメのヒットに合わせ、作品に登場する「鷹宮神社」のモデルが鷲宮神社であることが明かされると、「聖地巡礼」と称して多くのファンが詰めかけ絵馬を奉納するようになった。
イベントは、神社に隣接する同商工会の直営店「大酉茶屋わしのみや」で、割ぽう着に身を包んだみのる役の白石さんをはじめ、あきら役の今野さん、かがみ役の加藤英美里さん、つかさ役の福原香織さんの4人が接客し、こなたの大好物のチョココロネなど作品に関連した特別メニューを来店者にふるまった。その後、美水さんと出演声優陣は、鷲宮神社で絵馬や玉ぐしを奉納し、作品の明るい未来を願った。
同商工会によると、午前5時ぐらいファンが来場し始め、同7時半ごろには定員の約200人を超える列ができたといい、同日先行発売されたキャラクターのイラスト絵馬付きストラップも用意した2100個が完売する大人気となった。来場者も東京都、埼玉県など近郊のファンだけでなく、広島県から来たという男性や、作品のキャラクターを描いたユニークな自動車「痛車」で京都から来たという男性もいた。また、多くの来場者の人員整理は、「らき☆すた」ファン十数人がボランティアを買って出たといい、「特に大きな混乱もなかったが、ボランティアのおかげだと思う。絵馬ストラップも列を作った来場者には少なくとも1個は販売できたので、思い出にしてもらえたのではないか。明日以降は、商工会の加盟店でも販売するので、また鷲宮に足を運んでもらえれば」と話している。【立山夏行】
鷲宮神社を「公式参拝」したアニメ「らき☆すた」の出演声優陣。(左から)加藤英美里さん、福原香織さん、今野宏美さん、白石稔さん
2008年03月29日
フェートン号事件から200年
フェートン号事件をご存じですか?
まず当時の世界状況ですが、1793年にオランダはフランスに占領されました。
そのためオランダ統領ウィレム5世はイギリスに亡命。
世界各地にあったオランダの植民地はすべて革命フランスの影響下に置かれることとなった。
イギリスは、亡命して来たウィレム5世の依頼によりオランダの海外植民地の接収を始めていた。
次は日本の状況です。
御存じの様にその頃、江戸幕府はオランダとだけ通商を結んでいました。
上記の国際情勢により、長崎出島のオランダ商館を管轄するオランダ東インド会社があったバタヴィア(ジャカルタ)は依然として旧オランダ(つまりフランス)支配下の植民地と言う事になります。
ですが、ここからが複雑です。
アジアの制海権は既にイギリスが握っていたため、バタヴィアでは旧オランダ(つまりフランス)支配下の貿易商は中立国のアメリカ籍船を雇用して長崎と貿易を続けていました。
幕府はその事を、詳しく把握していたとは思われません。
こう言った状況下で事件は発生しました。
文化5年8月15日(1808年10月4日)、オランダ船拿捕を目的とするイギリス海軍のフリゲート艦フェートン号は、オランダ国旗を掲げて国籍を偽り、長崎へ入港した。
これをオランダ船と誤認した出島のオランダ商館員ホウゼンルマンとシキンムルの2名は慣例に従い、長崎奉行所のオランダ通詞らとともに出迎えのため船に乗り込もうとしたところ、武装ボートによって商館員2名が拿捕され、船に連行された。
それと同時に船はオランダ国旗を降ろしてイギリス国旗を掲げ、オランダ船を求めてボートで長崎港内の捜索を行い、人質の1人ホウゼマンを派遣して薪水や食料(米・野菜・肉)の提供を要求した。
長崎奉行の松平康英は、湾内警備を担当する鍋島藩・福岡藩の両藩にフェートン号の焼き討ち、もしくは抑留を命じ、大村藩などにも派兵を促した。
オランダ商館長(カピタン)ヘンドリック・ズーフは長崎奉行所内に避難し、戦闘回避を勧めたが、ここに来て長崎警衛当番の鍋島藩が太平に慣れて守備兵をわずか150名程度に減らしていたことが判明する。
翌16日、イギリス船がオランダ人1名を釈放して、欠乏食料の供給を求め、供給がない場合は港内の和船を焼き払うと脅迫してきた。
襲撃兵力のない長崎奉行はやむなく要求を入れ、食料や飲料水を供給し、オランダ商館も豚と牛を送った。
このためイギリス船は残りのオランダ人も釈放し、翌17日に港外に去った。
フェートン号事件

その後、長崎奉行の松平康英は、国威を辱めたとして自ら切腹。
勝手に兵力を減らしていた鍋島藩家老等数人も責任を取って切腹。
さらに江戸幕府は、鍋島藩が長崎警備の任を怠っていたとして、11月には藩主鍋島斉直に100日の閉門を命じました。
鍋島藩は大失態です。
この事件を切欠に10代藩主鍋島直正は、積極的な藩政改革や西洋技術の摂取に務めます。
特に西洋技術の摂取は貪欲はほど積極的で、その結果多くの成果を上げました。
嘉永2年(1849年)に日本最初の製鉄所を完成させる。
嘉永4年(1852年)には反射炉を稼動させる。
文久3年(1863年)に日本最初の蒸気船「凌風丸」を進水させる。
慶応2年(1866年)には当時の最新兵器であるアームストロング砲をほぼ自力で完成させる。
鍋島直正

この結果、幕末の雄藩として「薩長土肥(薩摩藩、長州藩、土佐藩、肥前藩)」と呼ばれる事になります。
因みに、鍋島藩は佐賀藩、肥前藩とも呼ばれます。
◎佐賀新聞(2008/03/29)
フェートン号事件から200年 武雄で企画展
武雄市図書館・歴史資料館の企画展「フェートン号事件と武雄」が、29日から同館で開かれる。鎖国体制下の江戸後期、長崎港にイギリス軍艦が侵入したフェートン号事件から、今年でちょうど200年。警備怠慢として受けた処分をばねに飛躍を遂げた佐賀藩の中で、砲術研究などの先導役を務めた武雄領の動きに焦点を当てる。5月5日まで。
事件は1808年初秋に起きた。通商が許されていたオランダ船を装った軍艦が入港。「来航シーズンが過ぎた」と警備を緩めていた佐賀藩は出動できず、藩士数人が切腹し、9代藩主鍋島斉直は謹慎処分に。佐賀城下では商業活動なども停止された。事件で受けた屈辱を晴らそうと、10代藩主鍋島直正は反射炉で鉄製大砲を鋳造するなど飛躍を図る。
こうした藩の動向の先駆けとなったのが、武雄領主鍋島茂義らの活動であり、企画展は武雄市所蔵の「武雄鍋島家資料」を中心に、貴重な歴史史料約100点を展示する。
「長崎警備のはじまり」「フェートン号事件おこる」「武雄の領主鍋島茂義」「武雄砲術の展開」「警備体制の充実」「茂義、蒸気船製造主任になる」の6部で構成。佐賀藩が独力で築いた砲台を描いた「神之島図」や、佐賀城下の武雄鍋島家屋敷の公式記録「御日記草書」、武雄領での大砲鋳造研究を示す大砲設計書類など、地元初公開の史料も多い。
このうち、「フェートン号事件おこる」では「御日記草書」から事件発生当時の記述を紹介。侵入した異国船が当初はロシア船とみられていたことや、事件を受けて武雄神社などで「国家安全、家中安全」の祈願がなされたことなどを示している。
「武雄の領主鍋島茂義」や「武雄砲術の展開」では、藩主直正の義兄で、藩政をつかさどる請役(うけやく)を務めた鍋島茂義の足跡に注目し、西洋の物品を購入した記録「長崎方控」や砲術研究関連資料を展示。いち早く西洋の科学を研究して先駆けとなった武雄領の功績をたどり、藩が取り組んだ数々の大プロジェクトで大きな役割を担っていたことを顕彰している。
【写真】幕末期の佐賀藩や武雄領の動向を示す史料が並ぶ会場?武雄市図書館・歴史資料館
まず当時の世界状況ですが、1793年にオランダはフランスに占領されました。
そのためオランダ統領ウィレム5世はイギリスに亡命。
世界各地にあったオランダの植民地はすべて革命フランスの影響下に置かれることとなった。
イギリスは、亡命して来たウィレム5世の依頼によりオランダの海外植民地の接収を始めていた。
次は日本の状況です。
御存じの様にその頃、江戸幕府はオランダとだけ通商を結んでいました。
上記の国際情勢により、長崎出島のオランダ商館を管轄するオランダ東インド会社があったバタヴィア(ジャカルタ)は依然として旧オランダ(つまりフランス)支配下の植民地と言う事になります。
ですが、ここからが複雑です。
アジアの制海権は既にイギリスが握っていたため、バタヴィアでは旧オランダ(つまりフランス)支配下の貿易商は中立国のアメリカ籍船を雇用して長崎と貿易を続けていました。
幕府はその事を、詳しく把握していたとは思われません。
こう言った状況下で事件は発生しました。
文化5年8月15日(1808年10月4日)、オランダ船拿捕を目的とするイギリス海軍のフリゲート艦フェートン号は、オランダ国旗を掲げて国籍を偽り、長崎へ入港した。
これをオランダ船と誤認した出島のオランダ商館員ホウゼンルマンとシキンムルの2名は慣例に従い、長崎奉行所のオランダ通詞らとともに出迎えのため船に乗り込もうとしたところ、武装ボートによって商館員2名が拿捕され、船に連行された。
それと同時に船はオランダ国旗を降ろしてイギリス国旗を掲げ、オランダ船を求めてボートで長崎港内の捜索を行い、人質の1人ホウゼマンを派遣して薪水や食料(米・野菜・肉)の提供を要求した。
長崎奉行の松平康英は、湾内警備を担当する鍋島藩・福岡藩の両藩にフェートン号の焼き討ち、もしくは抑留を命じ、大村藩などにも派兵を促した。
オランダ商館長(カピタン)ヘンドリック・ズーフは長崎奉行所内に避難し、戦闘回避を勧めたが、ここに来て長崎警衛当番の鍋島藩が太平に慣れて守備兵をわずか150名程度に減らしていたことが判明する。
翌16日、イギリス船がオランダ人1名を釈放して、欠乏食料の供給を求め、供給がない場合は港内の和船を焼き払うと脅迫してきた。
襲撃兵力のない長崎奉行はやむなく要求を入れ、食料や飲料水を供給し、オランダ商館も豚と牛を送った。
このためイギリス船は残りのオランダ人も釈放し、翌17日に港外に去った。
フェートン号事件

その後、長崎奉行の松平康英は、国威を辱めたとして自ら切腹。
勝手に兵力を減らしていた鍋島藩家老等数人も責任を取って切腹。
さらに江戸幕府は、鍋島藩が長崎警備の任を怠っていたとして、11月には藩主鍋島斉直に100日の閉門を命じました。
鍋島藩は大失態です。
この事件を切欠に10代藩主鍋島直正は、積極的な藩政改革や西洋技術の摂取に務めます。
特に西洋技術の摂取は貪欲はほど積極的で、その結果多くの成果を上げました。
嘉永2年(1849年)に日本最初の製鉄所を完成させる。
嘉永4年(1852年)には反射炉を稼動させる。
文久3年(1863年)に日本最初の蒸気船「凌風丸」を進水させる。
慶応2年(1866年)には当時の最新兵器であるアームストロング砲をほぼ自力で完成させる。
鍋島直正

この結果、幕末の雄藩として「薩長土肥(薩摩藩、長州藩、土佐藩、肥前藩)」と呼ばれる事になります。
因みに、鍋島藩は佐賀藩、肥前藩とも呼ばれます。
◎佐賀新聞(2008/03/29)
フェートン号事件から200年 武雄で企画展
武雄市図書館・歴史資料館の企画展「フェートン号事件と武雄」が、29日から同館で開かれる。鎖国体制下の江戸後期、長崎港にイギリス軍艦が侵入したフェートン号事件から、今年でちょうど200年。警備怠慢として受けた処分をばねに飛躍を遂げた佐賀藩の中で、砲術研究などの先導役を務めた武雄領の動きに焦点を当てる。5月5日まで。
事件は1808年初秋に起きた。通商が許されていたオランダ船を装った軍艦が入港。「来航シーズンが過ぎた」と警備を緩めていた佐賀藩は出動できず、藩士数人が切腹し、9代藩主鍋島斉直は謹慎処分に。佐賀城下では商業活動なども停止された。事件で受けた屈辱を晴らそうと、10代藩主鍋島直正は反射炉で鉄製大砲を鋳造するなど飛躍を図る。
こうした藩の動向の先駆けとなったのが、武雄領主鍋島茂義らの活動であり、企画展は武雄市所蔵の「武雄鍋島家資料」を中心に、貴重な歴史史料約100点を展示する。
「長崎警備のはじまり」「フェートン号事件おこる」「武雄の領主鍋島茂義」「武雄砲術の展開」「警備体制の充実」「茂義、蒸気船製造主任になる」の6部で構成。佐賀藩が独力で築いた砲台を描いた「神之島図」や、佐賀城下の武雄鍋島家屋敷の公式記録「御日記草書」、武雄領での大砲鋳造研究を示す大砲設計書類など、地元初公開の史料も多い。
このうち、「フェートン号事件おこる」では「御日記草書」から事件発生当時の記述を紹介。侵入した異国船が当初はロシア船とみられていたことや、事件を受けて武雄神社などで「国家安全、家中安全」の祈願がなされたことなどを示している。
「武雄の領主鍋島茂義」や「武雄砲術の展開」では、藩主直正の義兄で、藩政をつかさどる請役(うけやく)を務めた鍋島茂義の足跡に注目し、西洋の物品を購入した記録「長崎方控」や砲術研究関連資料を展示。いち早く西洋の科学を研究して先駆けとなった武雄領の功績をたどり、藩が取り組んだ数々の大プロジェクトで大きな役割を担っていたことを顕彰している。
【写真】幕末期の佐賀藩や武雄領の動向を示す史料が並ぶ会場?武雄市図書館・歴史資料館
2008年03月27日
ナベヅル300羽、暫しの羽休め。
今年もナベヅルが飛来しました。

ここ伊万里には、稀にタンチョウが迷い込む事があります。
※西日本新聞(2007/01/28)
幼鳥がはぐれ、舞い降りた タンチョウヅル 伊万里に初飛来?

◎佐賀新聞(2008/03/27)
ナベヅル300羽 伊万里・長浜干拓に
国指定のツル越冬分散候補地、伊万里市東山代町の長浜干拓に26日、ナベヅル約300羽が飛来した。鹿児島県出水市からシベリア方面へ北帰行する途中に立ち寄ったとみられる。
群れは同日午後3時半ごろ、第1陣約80羽が飛来。その後、次々と干拓内の田んぼに降り立った。翼を広げたり、羽づくろいをしながら集団で移動し、地中の餌をついばむしぐさが見ら
れた。
連日観察を続ける「伊万里鶴の会」の一ノ瀬秀春さん(40)は「北西からの向かい風が強く、疲れて降り立ったのだろう。27日朝には飛び立つのでは」と話している。
【写真】伊万里市東山代町の長浜干拓に降り立ったナベヅルの群れ


ここ伊万里には、稀にタンチョウが迷い込む事があります。
※西日本新聞(2007/01/28)
幼鳥がはぐれ、舞い降りた タンチョウヅル 伊万里に初飛来?

◎佐賀新聞(2008/03/27)
ナベヅル300羽 伊万里・長浜干拓に
国指定のツル越冬分散候補地、伊万里市東山代町の長浜干拓に26日、ナベヅル約300羽が飛来した。鹿児島県出水市からシベリア方面へ北帰行する途中に立ち寄ったとみられる。
群れは同日午後3時半ごろ、第1陣約80羽が飛来。その後、次々と干拓内の田んぼに降り立った。翼を広げたり、羽づくろいをしながら集団で移動し、地中の餌をついばむしぐさが見ら
れた。
連日観察を続ける「伊万里鶴の会」の一ノ瀬秀春さん(40)は「北西からの向かい風が強く、疲れて降り立ったのだろう。27日朝には飛び立つのでは」と話している。
【写真】伊万里市東山代町の長浜干拓に降り立ったナベヅルの群れ

2008年03月25日
「無事カエル」、大繁殖!
「彩夏到来 08 埼玉総体」
の成功を願って、遥か九州は佐賀の地から応援しています。
可愛いマスコットですね。
選手や監督への優しい心遣いが感じられますね。
でも、廃校になるのは残念ですね。
※埼玉県立菖蒲高等学校
【無事カエル運動】

ウィキペディアより 【埼玉県立菖蒲高等学校】
◎読売新聞(2008/03/25)
無事カエル 全国発信 高校総体記念品 3万5000個制作へ
交通安全を呼び掛けようと、県立菖蒲高校(生徒249人、仲村光男校長)が30年前から制作しているカエルのマスコット「無事カエル」が今年夏、県内で開催される高校総体の記念品として選手や監督に配られる。県内の193高校が協力し、今月末までに3万5000個を制作する。菖蒲高校は2010年3月で廃校となるが、生徒たちは「これを機に『無事カエル』を全国に広めよう」と張り切っている。
カエルの顔をあしらったマスコットは、2枚のフェルトの間に綿を詰めて縫い合わせ、目、ほお、口、ちょうネクタイをつけて作る。記念品は縦横5センチほど。一つ一つ手作りなので表情は様々だ。
30年前の1978年、多発する交通事故に心を痛めた同校家庭科部の女子生徒が、「無事に笑って家に帰って」と地元の人たちに呼びかけるため作ったのが始まり。以来、同部員らの指導で全校生徒が作るようになり、約1000個のカエルが毎年、菖蒲町内の小学1年生や学校近くを通るドライバーに配られてきた。
今夏開催される「彩夏到来 08埼玉総体」の記念品に決まったのは07年5月。記念品を選定する「高校生一人一役活動県実行委員会」のメンバーが、「全県の高校生が同じものを手作りできる」「けがや事故にあわず、無事に帰ってもらいたいという思いも込められる」と意見が一致した。
07年秋から、特別支援学校を含む公私立高校で制作がスタート。菖蒲高校の割り当ては300個だが、周辺校の生徒を集めて講習会を開くなど、同校の生徒は指導役も担ってきた。「生徒数も減り、年間1000個を維持するのも大変なのに」と教諭も生徒の頑張りに目を細める。
同校家庭科部の一人、2年生の金子友加里さんは「菖蒲高校は2年後に廃校になってしまうが、全国に散らばっていくカエルとともに、その名が残ってくれれば」と願い、丁寧に糸を通し続けている。
【写真】校内で作られた「無事カエル」をチェックし、手直しする家庭科部員ら(菖蒲高校で)
の成功を願って、遥か九州は佐賀の地から応援しています。可愛いマスコットですね。
選手や監督への優しい心遣いが感じられますね。
でも、廃校になるのは残念ですね。
※埼玉県立菖蒲高等学校
【無事カエル運動】

ウィキペディアより 【埼玉県立菖蒲高等学校】
◎読売新聞(2008/03/25)
無事カエル 全国発信 高校総体記念品 3万5000個制作へ
交通安全を呼び掛けようと、県立菖蒲高校(生徒249人、仲村光男校長)が30年前から制作しているカエルのマスコット「無事カエル」が今年夏、県内で開催される高校総体の記念品として選手や監督に配られる。県内の193高校が協力し、今月末までに3万5000個を制作する。菖蒲高校は2010年3月で廃校となるが、生徒たちは「これを機に『無事カエル』を全国に広めよう」と張り切っている。
カエルの顔をあしらったマスコットは、2枚のフェルトの間に綿を詰めて縫い合わせ、目、ほお、口、ちょうネクタイをつけて作る。記念品は縦横5センチほど。一つ一つ手作りなので表情は様々だ。
30年前の1978年、多発する交通事故に心を痛めた同校家庭科部の女子生徒が、「無事に笑って家に帰って」と地元の人たちに呼びかけるため作ったのが始まり。以来、同部員らの指導で全校生徒が作るようになり、約1000個のカエルが毎年、菖蒲町内の小学1年生や学校近くを通るドライバーに配られてきた。
今夏開催される「彩夏到来 08埼玉総体」の記念品に決まったのは07年5月。記念品を選定する「高校生一人一役活動県実行委員会」のメンバーが、「全県の高校生が同じものを手作りできる」「けがや事故にあわず、無事に帰ってもらいたいという思いも込められる」と意見が一致した。
07年秋から、特別支援学校を含む公私立高校で制作がスタート。菖蒲高校の割り当ては300個だが、周辺校の生徒を集めて講習会を開くなど、同校の生徒は指導役も担ってきた。「生徒数も減り、年間1000個を維持するのも大変なのに」と教諭も生徒の頑張りに目を細める。
同校家庭科部の一人、2年生の金子友加里さんは「菖蒲高校は2年後に廃校になってしまうが、全国に散らばっていくカエルとともに、その名が残ってくれれば」と願い、丁寧に糸を通し続けている。
【写真】校内で作られた「無事カエル」をチェックし、手直しする家庭科部員ら(菖蒲高校で)
2008年03月24日
日韓交流の礎に。
倭城(わじょう)は文禄・慶長の役に際して日本軍が朝鮮半島南部各地に築いた日本式の城です。
当時日本は約100年間に及んだ戦国時代が終わりを告げたばかり、その間に守りの要である築城技術は最高レベルに達していたと思われる。
そのため朝鮮半島にあった城より防御力が高く、実戦的であることに特徴があります。
特に石垣の技術は、江戸時代になっても進歩を続けてきました。
あの微妙なカーブによって、力を分散させる工法は素晴らしい物です。
それを当時は高度な測量技術や大型機械も無しに、人力で施工したのですから頭が下がります。
現在でも普通の土木工事で「野面積み」や「雑石積み」等の工法に受け継がれていて、優秀な「石工」は現場では一目置かれる存在なのです。
その倭城の一つ順天城が日韓の協力で、復元が完了しました。
素晴らしいことです。
この交流が益々進んで、佐賀県の悲願である名護屋城天守閣の復元が出来れば最高なんですが…。
◎佐賀新聞(2008/03/24)
朝鮮半島「倭城」の石垣本格復元
文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱、1592-98年)で日本側が朝鮮半島に築いた倭城の1つ、順天城(韓国・順天市)で行われていた石垣の復元工事がこのほど終了した。過去に例がない本格的な復元で、県立名護屋城博物館(唐津市鎮西町)の学芸課長、高瀬哲郎さん(56)が全面的に指導した。侵略の拠点だった倭城での共同作業を終えた高瀬さんは「日韓が協力し、遺跡を通じて歴史の実態を探るという新たな交流の第一歩になる」と話す。
順天城は慶長の役の1597年、宇喜多秀家らが築城したとされる。韓国南部沿岸の約30カ所で確認されている倭城のなかでも最大規模で、順天市は観光資源にしようと公園化を計画。事業費は106億ウォン(約11億円)で、昨年1月に工事に取りかかった。
だが、日本の伝統技術を使い、韓国人の手で行う石垣の復元には困難を伴った。綿密な打ち合わせを経て計画書を作成、名護屋城跡で技術指導も行ったが、昨年2月にメールで送られてきた写真を見た高瀬さんはがく然とした。横向きに並べなければならない石が、不規則に縦や斜めに置かれていた。「当時の築城技術を使って復元するという認識が不足していた」。高瀬さんは積み上げた石をすべて取り壊すよう指示。作業は振り出しに戻った。
約3カ月間の工事の中断を経て、高瀬さんは5月に現地を訪れた。取り壊しについて作業員は難色を示したが、作業のポイントなどを根気強く説明。石選びや積み上げ作業にも参加し、ともに汗を流した。高瀬さんの訪問をきっかけに復元は軌道に乗り始めた。
その後は頻繁にメールをやりとりし、作業の状況を確認しながら修正点を指示。大手門から天守台まで、城全体の石垣復元を終えた。高瀬さんは「共通認識を作り上げるまでが難しかったが、文化財としての重要性を理解してくれた後は、日本人よりも素直に耳を傾けてくれた」と振り返る。
工事の完成が近づいた2月上旬、最終確認のために現地を訪れた高瀬さんに対し、順天市から感謝牌が贈られた。反日感情とも絡む倭城を舞台にした交流の成果に、高瀬さんは「両国の人々が歴史的事実を共有できたことは今後大きな財産になる」と語る。
【写真】復元された順天城の天守台の石垣=韓国・順天市(県立名護屋城博物館提供)
当時日本は約100年間に及んだ戦国時代が終わりを告げたばかり、その間に守りの要である築城技術は最高レベルに達していたと思われる。
そのため朝鮮半島にあった城より防御力が高く、実戦的であることに特徴があります。
特に石垣の技術は、江戸時代になっても進歩を続けてきました。
あの微妙なカーブによって、力を分散させる工法は素晴らしい物です。
それを当時は高度な測量技術や大型機械も無しに、人力で施工したのですから頭が下がります。
現在でも普通の土木工事で「野面積み」や「雑石積み」等の工法に受け継がれていて、優秀な「石工」は現場では一目置かれる存在なのです。
その倭城の一つ順天城が日韓の協力で、復元が完了しました。
素晴らしいことです。
この交流が益々進んで、佐賀県の悲願である名護屋城天守閣の復元が出来れば最高なんですが…。
◎佐賀新聞(2008/03/24)
朝鮮半島「倭城」の石垣本格復元
文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱、1592-98年)で日本側が朝鮮半島に築いた倭城の1つ、順天城(韓国・順天市)で行われていた石垣の復元工事がこのほど終了した。過去に例がない本格的な復元で、県立名護屋城博物館(唐津市鎮西町)の学芸課長、高瀬哲郎さん(56)が全面的に指導した。侵略の拠点だった倭城での共同作業を終えた高瀬さんは「日韓が協力し、遺跡を通じて歴史の実態を探るという新たな交流の第一歩になる」と話す。
順天城は慶長の役の1597年、宇喜多秀家らが築城したとされる。韓国南部沿岸の約30カ所で確認されている倭城のなかでも最大規模で、順天市は観光資源にしようと公園化を計画。事業費は106億ウォン(約11億円)で、昨年1月に工事に取りかかった。
だが、日本の伝統技術を使い、韓国人の手で行う石垣の復元には困難を伴った。綿密な打ち合わせを経て計画書を作成、名護屋城跡で技術指導も行ったが、昨年2月にメールで送られてきた写真を見た高瀬さんはがく然とした。横向きに並べなければならない石が、不規則に縦や斜めに置かれていた。「当時の築城技術を使って復元するという認識が不足していた」。高瀬さんは積み上げた石をすべて取り壊すよう指示。作業は振り出しに戻った。
約3カ月間の工事の中断を経て、高瀬さんは5月に現地を訪れた。取り壊しについて作業員は難色を示したが、作業のポイントなどを根気強く説明。石選びや積み上げ作業にも参加し、ともに汗を流した。高瀬さんの訪問をきっかけに復元は軌道に乗り始めた。
その後は頻繁にメールをやりとりし、作業の状況を確認しながら修正点を指示。大手門から天守台まで、城全体の石垣復元を終えた。高瀬さんは「共通認識を作り上げるまでが難しかったが、文化財としての重要性を理解してくれた後は、日本人よりも素直に耳を傾けてくれた」と振り返る。
工事の完成が近づいた2月上旬、最終確認のために現地を訪れた高瀬さんに対し、順天市から感謝牌が贈られた。反日感情とも絡む倭城を舞台にした交流の成果に、高瀬さんは「両国の人々が歴史的事実を共有できたことは今後大きな財産になる」と語る。
【写真】復元された順天城の天守台の石垣=韓国・順天市(県立名護屋城博物館提供)
2008年03月22日
和風トリュフ、「松露」
「松露」をご存じですか?
海岸近く黒松林の白砂清祥な場所に発生する、大変貴重なキノコです。
学名はRhizopogon rubescensで、松の露と書いて「松露(ショウロ)」です。
キノコの中でも特殊な形態をして、傘もなければ足もない。
キノコらしくないキノコで小さなジャガイモのような形をしています。
松露は直径1~3センチ食味はまさに珍味で、微かに松葉の薫りが漂います。
肉質の何とも言い難い歯切れのいい口当りは他に類をみません。
松露(ショウロ)

佐賀県唐津市の「虹の松原」にも、数はかなり減りましたが「松露」が取れます。
虹の松原

そうそう唐津には、この「松露」に模した「松露饅頭」と言う銘菓もあります。
お越しの際は、是非お召し上がり下さい。
松露饅頭

◎佐賀新聞(2008/03/22)
松露試食などで虹の松原の魅力に迫る
「虹の松原」の魅力を紹介するイベント「虹の松原・松露(しょうろ)ウイーク」が22日、唐津市の唐津ロイヤルホテルなどで始まった。松原に自生するキノコ「松露」の試食会や俳優の柳生博さんを招いた鼎談(ていだん)などがあり、約150人の市民が松原の保全や活用を考えた。
イベントは、広葉樹の侵入で荒れつつある松原の再生に取り組む「虹の松原保護対策協議会」(会長・坂井俊之唐津市長)が、松原への関心を深めてもらおうと初めて開催した。
このうち試食会では、松林の健全度の指標ともいわれる松露を特別に許可を得て採り、茶そばやおから、水菜とのあえ物などにアレンジ。茶そばに添えられた松露を味わった原田京太君(東唐津小4年)は「初めて食べる味。シャキシャキしておいしい」と話した。
また、柳生さんと坂井市長、古川康知事が松原の保護について意見交換。柳生さんは「松葉かきなどのボランティア活動を市民が実際に見て、参加する動きが生まれてほしい。エコツアーを企画してはどうか」と提案した。
23日は午前9時から一斉松葉かき、30日午前10時からは松原内のウオーキングがある(参加自由)。
【写真上】松露を使った料理を味わう子どもたち=唐津市の唐津ロイヤルホテル
【写真下】試食会で提供された松露を添えた茶そば(左)と松露と水菜の和え物

海岸近く黒松林の白砂清祥な場所に発生する、大変貴重なキノコです。
学名はRhizopogon rubescensで、松の露と書いて「松露(ショウロ)」です。
キノコの中でも特殊な形態をして、傘もなければ足もない。
キノコらしくないキノコで小さなジャガイモのような形をしています。
松露は直径1~3センチ食味はまさに珍味で、微かに松葉の薫りが漂います。
肉質の何とも言い難い歯切れのいい口当りは他に類をみません。
松露(ショウロ)

佐賀県唐津市の「虹の松原」にも、数はかなり減りましたが「松露」が取れます。
虹の松原

そうそう唐津には、この「松露」に模した「松露饅頭」と言う銘菓もあります。
お越しの際は、是非お召し上がり下さい。
松露饅頭

◎佐賀新聞(2008/03/22)
松露試食などで虹の松原の魅力に迫る
「虹の松原」の魅力を紹介するイベント「虹の松原・松露(しょうろ)ウイーク」が22日、唐津市の唐津ロイヤルホテルなどで始まった。松原に自生するキノコ「松露」の試食会や俳優の柳生博さんを招いた鼎談(ていだん)などがあり、約150人の市民が松原の保全や活用を考えた。
イベントは、広葉樹の侵入で荒れつつある松原の再生に取り組む「虹の松原保護対策協議会」(会長・坂井俊之唐津市長)が、松原への関心を深めてもらおうと初めて開催した。
このうち試食会では、松林の健全度の指標ともいわれる松露を特別に許可を得て採り、茶そばやおから、水菜とのあえ物などにアレンジ。茶そばに添えられた松露を味わった原田京太君(東唐津小4年)は「初めて食べる味。シャキシャキしておいしい」と話した。
また、柳生さんと坂井市長、古川康知事が松原の保護について意見交換。柳生さんは「松葉かきなどのボランティア活動を市民が実際に見て、参加する動きが生まれてほしい。エコツアーを企画してはどうか」と提案した。
23日は午前9時から一斉松葉かき、30日午前10時からは松原内のウオーキングがある(参加自由)。
【写真上】松露を使った料理を味わう子どもたち=唐津市の唐津ロイヤルホテル
【写真下】試食会で提供された松露を添えた茶そば(左)と松露と水菜の和え物

2008年03月18日
武雄患者射殺事件、初公判。
あの理不尽な事件が起きてから半年近く経ちます。
その後犯人も捕まり、昨日3月17日は初公判でした。
裁判後の記者会見で、被害者の奥さんの「被告人を死刑にして欲しい」の言葉に、事件に対する怒りを強く感じました。
遺族にとってはこれからまた、辛い日々が続くなかと思うと居た堪れない思いがします。
※関連日記
http://kanzin.saitamania.net/e9728.html
◎佐賀新聞(2008/03/18)
今田被告、起訴事実認める 武雄患者射殺事件
昨年11月、武雄市の病院で入院患者の男性を対立暴力団の関係者と間違えて射殺したとして、殺人罪などに問われた指定暴力団道仁会系組員、今田文雄被告(61)の初公判が17日、佐賀地裁(若宮利信裁判長)であり、今田被告は起訴事実をすべて認めた。
これまでの調べで、被害者の建築板金業宮元洋さん=同市山内町、当時34歳=に暴力団とのつながりはなく、検察は起訴状で宮元さんが人違いで殺されたと指摘。今田被告は罪状認否で「間違いありません」と述べ、遺族に対し「殺してしまったことについては一言の弁解のしようもない。心からおわびします」と謝罪した。
起訴状によると、今田被告は、対立する指定暴力団九州誠道会の関係者を殺害しようとし、昨年11月8日午前7時40分ごろ、武雄市の病院に侵入。2階個室に入院していた宮元さんを暴力団関係者と誤認して拳銃を発射、2発を命中させて殺害した。
【写真】武雄入院患者殺人事件の初公判で、佐賀地裁に入る今田文雄被告を乗せたと思われるワゴン車=17日午後

▼人定あいまい、犯行経緯明らかに
入院患者射殺事件の初公判で、今田被告は人違いで宮元洋さんを射殺したことを認めた。なぜ、一般市民を暴力団関係者と間違えたのか。検察は冒頭陳述で、今田被告が狙いを付けた対立組織の関係者の顔などを知らず、あいまいな情報をもとに殺害を計画し、犯行に及んだ経緯を明らかにした。
今田被告は昨年8月、殺された道仁会3代目会長の報復を決意し、拳銃を入手。九州誠道会トップの村上一家総長を殺そうと計画。ところが居場所などの情報を得られず、10月ごろ「村上一家の企業舎弟」が武雄市の整形外科の3号室に入院中との情報を得たため、狙いを切り替えた。
所属する松永組関係者らを連れて2度病院の下見をしたが、いずれも外観を眺めただけ。暴力団関係者の顔や実際3号室に入院している人物の名前も確認せず、犯行に及んだとしている。
事件当日、今田被告は病室に踏み込むと、無言のまま宮元さんに拳銃で2発撃った。今田被告は「その人を見るのは初めてだったが、3号室の人に間違いないと思って撃った」と供述している。
大きな悲鳴を上げ、ベッド下へ逃げ込もうとする宮元さんを、今田被告は腰をかがめてさらに2発発射。駆けつけてきた看護師に廊下で会うと「何か大きな音がしましたね」と言い、平然と病院を出たという。
▼「最も重い罪望む」 遺族が会見
武雄市の入院患者射殺事件で、被害者宮元洋さん=当時34歳=の妻篤紀さん(35)が17日、佐賀地裁の初公判を傍聴後、記者会見した。「初めて事件のことを詳しく聞いて、洋君は怖かっただろうなと思いました」。見知らぬ男に突然銃口を向けられた夫の恐怖を思い、涙ながらに語った。
篤紀さんは、バッグに宮元さんの写真をしのばせ、家族と親類6人で傍聴した。公判中は気丈に前を向いていたが、検事が詳しい殺害状況を述べ、大型モニターに生前の宮元さんの写真が映し出されたときには、こらえ切れず涙をぬぐった。
法廷で検事が述べた証言では「私の夫は暴力団抗争がなかったら死ななかった。同じような犠牲者を出さないためにも、最も重い罪を望んでいる」と今田被告の極刑を望んでいた篤紀さん。
閉廷後、記者から「今田被告の謝罪を聞いた今も同じ気持ちか」と問われると「わたしの一番大切な人を殺したのだから、気持ちは変わらない」と述べ、謝罪内容についても「弁護士が準備したものと思うので、何とも思いません」。そう言い切った。
【写真】初公判を終え、宮元洋さんの遺影を置いて会見する妻の篤紀さん=県庁

■武雄市入院患者射殺事件
昨年11月8日朝、武雄市朝日町の整形外科2階病室で、入院患者の同市山内町、建築板金業宮元洋さん=当時34歳=が男に拳銃で撃たれ、死亡した。男は拳銃を持ったまま車で逃走。県警は同月22日、指定暴力団道仁会系組員今田文雄被告(61)の逮捕状を取り、その3日後に福岡県警が福岡県内で別の発砲事件を起こした今田被告を現行犯逮捕。佐賀県警が12月16日、殺人容疑で再逮捕した。佐賀地検は1月7日、今田被告を起訴し、「宮元さんを対立暴力団の関係者と人違いして射殺した」と指摘した。
◆武雄患者射殺事件冒陳要旨全文【その1】
【事件の経緯】
1、抗争の経緯
指定暴力団道仁会は、2代目会長松尾誠次郎の引退に伴う後任人事案を巡り、平成18年5月初旬ごろから内部対立を深め、同月18日ごろ、松尾組組長松尾義久の道仁会3代目会長への襲名が発表されると、道仁会内の最大勢力であった村上一家らはこれに強く反発した。
そこで、道仁会は村上一家総長らを絶縁処分にしたが、村上一家側は道仁会から脱会して同年6月に九州誠道会を結成し、道仁会は内部分裂した。
2、被告人と道仁会の関係
今田文雄被告は、昭和40年ごろから暴力団員として活動し、昭和60年ごろ、当時は道仁会松尾組内の大中組組長だった松尾義久に誘われ、大中組傘下の柴田組組長となった。
昭和62年ごろ、今田被告は、執行部と対立して大中組から絶縁処分を受けたが、その後も配下を引き連れて暴力団同然に活動した。
平成4年ごろ、道仁会は、当時の松尾組組長松尾誠次郎が3代目会長に就任し、松尾義久は松尾組の2代目組長となった。
また、平成12年ごろ、大中組は松永組へと名称を変更し、平成15年ごろ、今田被告は、道仁会松尾組(組長松尾義久)傘下の松永組に、組織委員長として迎え入れられた。
3、抗争状況
平成18年5月21日、道仁会本部や今田被告の所属する松永組等5カ所への同時多発銃撃事件が発生すると、同月24日には、村上一家傘下の暴力団組事務所に火炎瓶が投げ込まれて同事務所が全焼する事件が発生するなど、同年中に、道仁会側に対しては、合計7件の銃撃事件や爆発物投てき事件、殴打事件が発生して道仁会系組員ら5名が負傷し、九州誠道会側に対しては、合計3件の銃撃事件や放火事件が発生して、組長1名が負傷した。
また、平成19年6月、佐賀県内の久保田町で九州誠道会系の鶴丸組組長刺殺事件、熊本市内で道仁会系組員による九州誠道会系忠真会会長代行射殺事件が発生し、同年7月には佐賀県唐津市内で九州誠道会系田口組事務所への爆発物投てき事件が発生した。
同年8月18日、福岡市内で、道仁会3代目会長松尾義久は、九州誠道会村上一家組員らにより、けん銃で頭部等を撃たれて射殺された。
これに対し、その翌日には、熊本市内で、道仁会系組員らが、九州誠道会系忠真会会長を銃撃し、同人は重傷を負った。
本件殺人事件発生後の平成19年11月24日、九州誠道会村上一家系の古賀組組長が射殺されると、同月27日には、道仁会系大平組組長が射殺、組員が刺殺されて合計3名が殺害された。
本件は、こうした道仁会と九州誠道会の対立抗争のさなかに、道仁会に属する今田被告によって敢行された事案である。
◆武雄患者射殺事件冒陳要旨全文【その2】
【犯行現場の状況】
犯行現場の篠田整形外科は、佐賀県武雄市内中心部に近く、幹線道路に面しており、周辺には住宅や店舗が多く存在するほか、付近の道路は小中学生の通学ルートであった。
篠田整形外科は2階建てで、1階には診察室やリハビリ施設、待合室があり、2階には手術室のほか、大部屋を含む19の病室があった。
また、1日当たりの通院患者は約400名で、待合室には、早朝から数多くの通院患者らがいた。
【殺害に至るまでの被害者の状況】
被害者は、仕事の合間を見つけては子供たちとキャッチボールや釣りをし、子供たちの学校生活や家庭内での日常生活についても熱心に指導していたほか、武雄市の消防団に所属するなど地域へも貢献していた。
また、被害者は、暴力団組織及びその関係者とは一切関係がなかった。
【暴力団関係者の入院、被害者と病室が入れ替わった経緯】
篠田整形外科では、平成19年10月11日、九州誠道会永石組の関係者が入院して個室の3号室に入った。同人は、スナック等飲食店を経営する会社の役員を務め、病室には飲食店関係者など派手な身なりをした人物が数多く出入りしていた。
10月中旬ころ、同人は部屋が比較的広い1号室への移動を求め、篠田整形外科は被害者に対し、病室の入れ替えを打診。被害者はこれを承諾し、同月23日、被害者と上記暴力団関係者の病室は入れ替わった。以後、被害者は、11月8日の本件当時まで3号室を使用。上記暴力団関係者は、1号室を使用した後、11月3日に退院した。
【殺害決意の経緯】
今田被告は、平成19年8月に道仁会3代目会長松尾義久が殺害されると、その報復を企て、同月下旬ころ、本件犯行に使用した38口径回転弾倉式けん銃1丁を含むけん銃2丁と、それぞれのけん銃に適合する多数の実包を入手した。
今田被告は、村上一家総長の殺害を意図したが、その所在等の具体的情報を得られなかった。同年10月ころ、今田被告は、「村上一家の企業舎弟」が佐賀県武雄市内の篠田整形外科の3号室に入院中であるとの情報を得た。
今田被告は、その暴力団関係者を殺害しようと企て、事件当日同行した女性Aを連れて1回、松永組関係者を連れて深夜に1回、篠田整形外科の付近まで下見に行ったが、外観を眺めただけで、建物内に入らず、3号室などの病室は2階にあるだろうと推測するだけであった。今田被告は、その暴力団関係者の顔写真も入手しておらず、3号室に誰が入院しているかの確認もしなかった。
さらに、今田被告は、その暴力団関係者が病室を変えたことについても情報を得ておらず、結局、本件殺人事件の当日まで2階3号室には、九州誠道会の暴力団関係者が入院していると思い込み、本件犯行に至った。
【使用けん銃と実包】
犯行に使用されたけん銃は、トーラス社製の38口径回転弾倉式けん銃であり、弾倉には5発の弾丸を装てんできる構造になっていた(以下、「本件けん銃」という。)。本件けん銃は、撃鉄部分がないため、弾丸を装てんしたまま着衣内に隠し持っても、撃鉄が着衣内で引っ掛かって暴発するおそれがないけん銃であった。
今田被告は、本件けん銃とともに、11発の適合実包を入手しており、本件前に1発を試射して、発射機能があることを確認した上、5発の弾丸を弾倉に装てんして、以後、持ち歩いていた。
また、犯行時、被害者に向けて発射された弾丸は、いずれも米国オマーク社製の完全被甲弾(トータルメタルジャケット)であり、通常の弾丸よりも強い威力を有する弾丸であった。
◆武雄患者射殺事件冒陳要旨全文【その3】
【犯行現場に赴いた状況】
今田被告は、当時、破損したフロントバンパーに脱落防止のためガムテープを貼ったクラウンを使用しており、また、無免許であった。今田被告は、そのクラウンをAに運転させ、同年11月8日深夜、福岡県内の太宰府インターチェンジから高速道路に入り、同日午前3時過ぎ、武雄市内に入ると、付近のラブホテルに宿泊した。
今田被告は、同日午前7時25分、Aとともにラブホテルを出て、マックスバリュー武雄店に立ち寄り、同所でAを下車させた後、自ら運転して篠田整形外科へ向かった。今田被告は、弾倉内に5発の実包を装てんした本件けん銃を上着の左ポケット内に入れて隠し、手袋をはめ、午前7時38分、篠田整形外科に到着した。
【犯行の状況】
今田被告は、午前7時39分11秒、正面出入口から病院内へ入り、階段で2階へ上がると、3号室の引き戸式ドアを開け、室内へ踏み込んだ。3号室は奥行きが4・25メートルで、被害者は3号室の窓際にいて、今田被告とほぼ正対する姿勢で立っていた。
今田被告は、初対面の被害者の名前を確認することもなく、即座にポケット内から本件けん銃を取り出し、被害者まで約3メートルの位置から、ほぼ水平に、銃口を被害者の上半身に向け、無言のまま2発発射した。
この2発の弾丸のうち1発は被害者の右肩を貫通し、他の1発は被害者に命中せず、いずれも窓ガラスを貫通して、50メートル以上離れたグリーンコープ生協さがたけおセンターの建物内外に着弾した。
被害者は、大きな悲鳴を上げながら、ベッド下へ逃げ込もうとしたが、今田被告は、床に這いつくばるようにした被害者に向けて、なおも2発の弾丸を立て続けに発射した。
その結果、1発は被害者の左前胸部に命中して背部右外側から体外へと貫通。他の1発の弾丸は、ベッドの金属製の枠などに当たり、病室内に遺留された。
【死因】
被害者の死因は、左前胸部に命中し、身体を右斜め下へ貫通した弾丸が、心臓直上の動脈や右肺を損傷したことによる失血死であった。
【逃走状況】
今田被告は、本件けん銃を両手で後ろ手に隠し持ち、何事もなかったかのように他の入院患者や看護師らの面前を平然とゆっくり歩き、午前7時41分57秒、正面出入口から出た。
今田被告は、佐賀県内を逃走中、Aの携帯電話を用いて、松永組周辺者や松永組事務所へ電話をかけ、さらに、自らの携帯電話でも、松永組組員や松永組組長に電話をかけた。今田被告は、福岡県内の筑紫野インターチェンジから一般道へ出ると、携帯電話で再び松永組周辺者と連絡を取り合った。そして、今田被告は、上記クラウンを同日中に、何者かを介して福岡県内の解体業者の元へ持ち込み、解体処分した。
【逮捕の状況】
今田被告は、平成19年11月25日午前零時すぎ、福岡県大野城市内で、職務質問の福岡県警警察官ともみあいになって、けん銃1発を暴発させ、同日午前0時52分、銃刀法違反で現行犯逮捕された。けん銃は、被害者殺害に使用された本件けん銃と、発射弾丸の線条痕が一致している。
その後犯人も捕まり、昨日3月17日は初公判でした。
裁判後の記者会見で、被害者の奥さんの「被告人を死刑にして欲しい」の言葉に、事件に対する怒りを強く感じました。
遺族にとってはこれからまた、辛い日々が続くなかと思うと居た堪れない思いがします。
※関連日記
http://kanzin.saitamania.net/e9728.html
◎佐賀新聞(2008/03/18)
今田被告、起訴事実認める 武雄患者射殺事件
昨年11月、武雄市の病院で入院患者の男性を対立暴力団の関係者と間違えて射殺したとして、殺人罪などに問われた指定暴力団道仁会系組員、今田文雄被告(61)の初公判が17日、佐賀地裁(若宮利信裁判長)であり、今田被告は起訴事実をすべて認めた。
これまでの調べで、被害者の建築板金業宮元洋さん=同市山内町、当時34歳=に暴力団とのつながりはなく、検察は起訴状で宮元さんが人違いで殺されたと指摘。今田被告は罪状認否で「間違いありません」と述べ、遺族に対し「殺してしまったことについては一言の弁解のしようもない。心からおわびします」と謝罪した。
起訴状によると、今田被告は、対立する指定暴力団九州誠道会の関係者を殺害しようとし、昨年11月8日午前7時40分ごろ、武雄市の病院に侵入。2階個室に入院していた宮元さんを暴力団関係者と誤認して拳銃を発射、2発を命中させて殺害した。
【写真】武雄入院患者殺人事件の初公判で、佐賀地裁に入る今田文雄被告を乗せたと思われるワゴン車=17日午後

▼人定あいまい、犯行経緯明らかに
入院患者射殺事件の初公判で、今田被告は人違いで宮元洋さんを射殺したことを認めた。なぜ、一般市民を暴力団関係者と間違えたのか。検察は冒頭陳述で、今田被告が狙いを付けた対立組織の関係者の顔などを知らず、あいまいな情報をもとに殺害を計画し、犯行に及んだ経緯を明らかにした。
今田被告は昨年8月、殺された道仁会3代目会長の報復を決意し、拳銃を入手。九州誠道会トップの村上一家総長を殺そうと計画。ところが居場所などの情報を得られず、10月ごろ「村上一家の企業舎弟」が武雄市の整形外科の3号室に入院中との情報を得たため、狙いを切り替えた。
所属する松永組関係者らを連れて2度病院の下見をしたが、いずれも外観を眺めただけ。暴力団関係者の顔や実際3号室に入院している人物の名前も確認せず、犯行に及んだとしている。
事件当日、今田被告は病室に踏み込むと、無言のまま宮元さんに拳銃で2発撃った。今田被告は「その人を見るのは初めてだったが、3号室の人に間違いないと思って撃った」と供述している。
大きな悲鳴を上げ、ベッド下へ逃げ込もうとする宮元さんを、今田被告は腰をかがめてさらに2発発射。駆けつけてきた看護師に廊下で会うと「何か大きな音がしましたね」と言い、平然と病院を出たという。
▼「最も重い罪望む」 遺族が会見
武雄市の入院患者射殺事件で、被害者宮元洋さん=当時34歳=の妻篤紀さん(35)が17日、佐賀地裁の初公判を傍聴後、記者会見した。「初めて事件のことを詳しく聞いて、洋君は怖かっただろうなと思いました」。見知らぬ男に突然銃口を向けられた夫の恐怖を思い、涙ながらに語った。
篤紀さんは、バッグに宮元さんの写真をしのばせ、家族と親類6人で傍聴した。公判中は気丈に前を向いていたが、検事が詳しい殺害状況を述べ、大型モニターに生前の宮元さんの写真が映し出されたときには、こらえ切れず涙をぬぐった。
法廷で検事が述べた証言では「私の夫は暴力団抗争がなかったら死ななかった。同じような犠牲者を出さないためにも、最も重い罪を望んでいる」と今田被告の極刑を望んでいた篤紀さん。
閉廷後、記者から「今田被告の謝罪を聞いた今も同じ気持ちか」と問われると「わたしの一番大切な人を殺したのだから、気持ちは変わらない」と述べ、謝罪内容についても「弁護士が準備したものと思うので、何とも思いません」。そう言い切った。
【写真】初公判を終え、宮元洋さんの遺影を置いて会見する妻の篤紀さん=県庁

■武雄市入院患者射殺事件
昨年11月8日朝、武雄市朝日町の整形外科2階病室で、入院患者の同市山内町、建築板金業宮元洋さん=当時34歳=が男に拳銃で撃たれ、死亡した。男は拳銃を持ったまま車で逃走。県警は同月22日、指定暴力団道仁会系組員今田文雄被告(61)の逮捕状を取り、その3日後に福岡県警が福岡県内で別の発砲事件を起こした今田被告を現行犯逮捕。佐賀県警が12月16日、殺人容疑で再逮捕した。佐賀地検は1月7日、今田被告を起訴し、「宮元さんを対立暴力団の関係者と人違いして射殺した」と指摘した。
◆武雄患者射殺事件冒陳要旨全文【その1】
【事件の経緯】
1、抗争の経緯
指定暴力団道仁会は、2代目会長松尾誠次郎の引退に伴う後任人事案を巡り、平成18年5月初旬ごろから内部対立を深め、同月18日ごろ、松尾組組長松尾義久の道仁会3代目会長への襲名が発表されると、道仁会内の最大勢力であった村上一家らはこれに強く反発した。
そこで、道仁会は村上一家総長らを絶縁処分にしたが、村上一家側は道仁会から脱会して同年6月に九州誠道会を結成し、道仁会は内部分裂した。
2、被告人と道仁会の関係
今田文雄被告は、昭和40年ごろから暴力団員として活動し、昭和60年ごろ、当時は道仁会松尾組内の大中組組長だった松尾義久に誘われ、大中組傘下の柴田組組長となった。
昭和62年ごろ、今田被告は、執行部と対立して大中組から絶縁処分を受けたが、その後も配下を引き連れて暴力団同然に活動した。
平成4年ごろ、道仁会は、当時の松尾組組長松尾誠次郎が3代目会長に就任し、松尾義久は松尾組の2代目組長となった。
また、平成12年ごろ、大中組は松永組へと名称を変更し、平成15年ごろ、今田被告は、道仁会松尾組(組長松尾義久)傘下の松永組に、組織委員長として迎え入れられた。
3、抗争状況
平成18年5月21日、道仁会本部や今田被告の所属する松永組等5カ所への同時多発銃撃事件が発生すると、同月24日には、村上一家傘下の暴力団組事務所に火炎瓶が投げ込まれて同事務所が全焼する事件が発生するなど、同年中に、道仁会側に対しては、合計7件の銃撃事件や爆発物投てき事件、殴打事件が発生して道仁会系組員ら5名が負傷し、九州誠道会側に対しては、合計3件の銃撃事件や放火事件が発生して、組長1名が負傷した。
また、平成19年6月、佐賀県内の久保田町で九州誠道会系の鶴丸組組長刺殺事件、熊本市内で道仁会系組員による九州誠道会系忠真会会長代行射殺事件が発生し、同年7月には佐賀県唐津市内で九州誠道会系田口組事務所への爆発物投てき事件が発生した。
同年8月18日、福岡市内で、道仁会3代目会長松尾義久は、九州誠道会村上一家組員らにより、けん銃で頭部等を撃たれて射殺された。
これに対し、その翌日には、熊本市内で、道仁会系組員らが、九州誠道会系忠真会会長を銃撃し、同人は重傷を負った。
本件殺人事件発生後の平成19年11月24日、九州誠道会村上一家系の古賀組組長が射殺されると、同月27日には、道仁会系大平組組長が射殺、組員が刺殺されて合計3名が殺害された。
本件は、こうした道仁会と九州誠道会の対立抗争のさなかに、道仁会に属する今田被告によって敢行された事案である。
◆武雄患者射殺事件冒陳要旨全文【その2】
【犯行現場の状況】
犯行現場の篠田整形外科は、佐賀県武雄市内中心部に近く、幹線道路に面しており、周辺には住宅や店舗が多く存在するほか、付近の道路は小中学生の通学ルートであった。
篠田整形外科は2階建てで、1階には診察室やリハビリ施設、待合室があり、2階には手術室のほか、大部屋を含む19の病室があった。
また、1日当たりの通院患者は約400名で、待合室には、早朝から数多くの通院患者らがいた。
【殺害に至るまでの被害者の状況】
被害者は、仕事の合間を見つけては子供たちとキャッチボールや釣りをし、子供たちの学校生活や家庭内での日常生活についても熱心に指導していたほか、武雄市の消防団に所属するなど地域へも貢献していた。
また、被害者は、暴力団組織及びその関係者とは一切関係がなかった。
【暴力団関係者の入院、被害者と病室が入れ替わった経緯】
篠田整形外科では、平成19年10月11日、九州誠道会永石組の関係者が入院して個室の3号室に入った。同人は、スナック等飲食店を経営する会社の役員を務め、病室には飲食店関係者など派手な身なりをした人物が数多く出入りしていた。
10月中旬ころ、同人は部屋が比較的広い1号室への移動を求め、篠田整形外科は被害者に対し、病室の入れ替えを打診。被害者はこれを承諾し、同月23日、被害者と上記暴力団関係者の病室は入れ替わった。以後、被害者は、11月8日の本件当時まで3号室を使用。上記暴力団関係者は、1号室を使用した後、11月3日に退院した。
【殺害決意の経緯】
今田被告は、平成19年8月に道仁会3代目会長松尾義久が殺害されると、その報復を企て、同月下旬ころ、本件犯行に使用した38口径回転弾倉式けん銃1丁を含むけん銃2丁と、それぞれのけん銃に適合する多数の実包を入手した。
今田被告は、村上一家総長の殺害を意図したが、その所在等の具体的情報を得られなかった。同年10月ころ、今田被告は、「村上一家の企業舎弟」が佐賀県武雄市内の篠田整形外科の3号室に入院中であるとの情報を得た。
今田被告は、その暴力団関係者を殺害しようと企て、事件当日同行した女性Aを連れて1回、松永組関係者を連れて深夜に1回、篠田整形外科の付近まで下見に行ったが、外観を眺めただけで、建物内に入らず、3号室などの病室は2階にあるだろうと推測するだけであった。今田被告は、その暴力団関係者の顔写真も入手しておらず、3号室に誰が入院しているかの確認もしなかった。
さらに、今田被告は、その暴力団関係者が病室を変えたことについても情報を得ておらず、結局、本件殺人事件の当日まで2階3号室には、九州誠道会の暴力団関係者が入院していると思い込み、本件犯行に至った。
【使用けん銃と実包】
犯行に使用されたけん銃は、トーラス社製の38口径回転弾倉式けん銃であり、弾倉には5発の弾丸を装てんできる構造になっていた(以下、「本件けん銃」という。)。本件けん銃は、撃鉄部分がないため、弾丸を装てんしたまま着衣内に隠し持っても、撃鉄が着衣内で引っ掛かって暴発するおそれがないけん銃であった。
今田被告は、本件けん銃とともに、11発の適合実包を入手しており、本件前に1発を試射して、発射機能があることを確認した上、5発の弾丸を弾倉に装てんして、以後、持ち歩いていた。
また、犯行時、被害者に向けて発射された弾丸は、いずれも米国オマーク社製の完全被甲弾(トータルメタルジャケット)であり、通常の弾丸よりも強い威力を有する弾丸であった。
◆武雄患者射殺事件冒陳要旨全文【その3】
【犯行現場に赴いた状況】
今田被告は、当時、破損したフロントバンパーに脱落防止のためガムテープを貼ったクラウンを使用しており、また、無免許であった。今田被告は、そのクラウンをAに運転させ、同年11月8日深夜、福岡県内の太宰府インターチェンジから高速道路に入り、同日午前3時過ぎ、武雄市内に入ると、付近のラブホテルに宿泊した。
今田被告は、同日午前7時25分、Aとともにラブホテルを出て、マックスバリュー武雄店に立ち寄り、同所でAを下車させた後、自ら運転して篠田整形外科へ向かった。今田被告は、弾倉内に5発の実包を装てんした本件けん銃を上着の左ポケット内に入れて隠し、手袋をはめ、午前7時38分、篠田整形外科に到着した。
【犯行の状況】
今田被告は、午前7時39分11秒、正面出入口から病院内へ入り、階段で2階へ上がると、3号室の引き戸式ドアを開け、室内へ踏み込んだ。3号室は奥行きが4・25メートルで、被害者は3号室の窓際にいて、今田被告とほぼ正対する姿勢で立っていた。
今田被告は、初対面の被害者の名前を確認することもなく、即座にポケット内から本件けん銃を取り出し、被害者まで約3メートルの位置から、ほぼ水平に、銃口を被害者の上半身に向け、無言のまま2発発射した。
この2発の弾丸のうち1発は被害者の右肩を貫通し、他の1発は被害者に命中せず、いずれも窓ガラスを貫通して、50メートル以上離れたグリーンコープ生協さがたけおセンターの建物内外に着弾した。
被害者は、大きな悲鳴を上げながら、ベッド下へ逃げ込もうとしたが、今田被告は、床に這いつくばるようにした被害者に向けて、なおも2発の弾丸を立て続けに発射した。
その結果、1発は被害者の左前胸部に命中して背部右外側から体外へと貫通。他の1発の弾丸は、ベッドの金属製の枠などに当たり、病室内に遺留された。
【死因】
被害者の死因は、左前胸部に命中し、身体を右斜め下へ貫通した弾丸が、心臓直上の動脈や右肺を損傷したことによる失血死であった。
【逃走状況】
今田被告は、本件けん銃を両手で後ろ手に隠し持ち、何事もなかったかのように他の入院患者や看護師らの面前を平然とゆっくり歩き、午前7時41分57秒、正面出入口から出た。
今田被告は、佐賀県内を逃走中、Aの携帯電話を用いて、松永組周辺者や松永組事務所へ電話をかけ、さらに、自らの携帯電話でも、松永組組員や松永組組長に電話をかけた。今田被告は、福岡県内の筑紫野インターチェンジから一般道へ出ると、携帯電話で再び松永組周辺者と連絡を取り合った。そして、今田被告は、上記クラウンを同日中に、何者かを介して福岡県内の解体業者の元へ持ち込み、解体処分した。
【逮捕の状況】
今田被告は、平成19年11月25日午前零時すぎ、福岡県大野城市内で、職務質問の福岡県警警察官ともみあいになって、けん銃1発を暴発させ、同日午前0時52分、銃刀法違反で現行犯逮捕された。けん銃は、被害者殺害に使用された本件けん銃と、発射弾丸の線条痕が一致している。
2008年03月17日
総体の動画配信の成果!
佐賀総体の動画配信事業で高校生として中心的役割を果たしたのが、有田工業高校の放送部の皆さんです。
彼女達(男子部員は一人だけ、それも美術部々長兼務ですから)が、佐賀総体で培った技術は色んな場所で評価されています。
埼玉の高校生達も負けずに頑張って下さい。
実は私達「チームU」も総体が開催されるのに先駆け、彼女達と「 第104回有田陶器市」で一緒に動画配信の活動をしました。


また、佐賀総体では撮られる立場の彼女達を、「チームU」で撮影し動画でその活躍をネット配信しました。



◎佐賀新聞(2008/03/17)
映像の公募展で相次ぎ入賞 有田工高放送部
有田町の有田工業高校(織田良範校長)の放送部が、映像関連の公募展で相次いで入賞している。中村隆敏顧問は「昨夏の佐賀総体で動画配信を頑張った成果が出た。大きな励みになる」と喜んでいる。
池田舞さんら6人の作品「A close friend」は第3回ミニシアターコンテスト(県主催)で優秀賞、第1回学生デジタルコンテスト(アップル社主催)で佳作となった。亡くなった友人が幽霊となってよみがえり、友情を確かめ合う内容だ。両コンテストとも2月に開かれた。
昨年11月にあった第2回高校生映画コンクールでは、野中千尋さんら3人が作った「華のカケラ」が入選、西田藍子さんの「Please Call」が佳作に入った。友人の大切さ、携帯電話のメールが返ってこないいらだちをそれぞれ描く。
「上には上がいる。もっと頑張りたい」と池田さん。野中さんと西田さんは「高校生にとって身近な話題を取り上げた。評価されてうれしい」と話した。
【写真】賞状やトロフィーを持つ(右から)西田さん、野中さん、池田さん=有田町の有田工
彼女達(男子部員は一人だけ、それも美術部々長兼務ですから)が、佐賀総体で培った技術は色んな場所で評価されています。
埼玉の高校生達も負けずに頑張って下さい。
実は私達「チームU」も総体が開催されるのに先駆け、彼女達と「 第104回有田陶器市」で一緒に動画配信の活動をしました。


また、佐賀総体では撮られる立場の彼女達を、「チームU」で撮影し動画でその活躍をネット配信しました。



◎佐賀新聞(2008/03/17)
映像の公募展で相次ぎ入賞 有田工高放送部
有田町の有田工業高校(織田良範校長)の放送部が、映像関連の公募展で相次いで入賞している。中村隆敏顧問は「昨夏の佐賀総体で動画配信を頑張った成果が出た。大きな励みになる」と喜んでいる。
池田舞さんら6人の作品「A close friend」は第3回ミニシアターコンテスト(県主催)で優秀賞、第1回学生デジタルコンテスト(アップル社主催)で佳作となった。亡くなった友人が幽霊となってよみがえり、友情を確かめ合う内容だ。両コンテストとも2月に開かれた。
昨年11月にあった第2回高校生映画コンクールでは、野中千尋さんら3人が作った「華のカケラ」が入選、西田藍子さんの「Please Call」が佳作に入った。友人の大切さ、携帯電話のメールが返ってこないいらだちをそれぞれ描く。
「上には上がいる。もっと頑張りたい」と池田さん。野中さんと西田さんは「高校生にとって身近な話題を取り上げた。評価されてうれしい」と話した。
【写真】賞状やトロフィーを持つ(右から)西田さん、野中さん、池田さん=有田町の有田工
2008年03月16日
さがの木でアルペンホルン
「さがの『木づかい塾』」(佐賀県主催)に出品された、佐賀産木材を使ったアルペンホルンです。
日本の林業は長年に渡って里山を守ってきました。
里山は自然と人工が調和した、理想的姿です。
しかし、林業は第一次産業の中で一番衰退が激しく、里山を管理する人が居なくなり荒れ放題です。
環境やエコが叫ばれる昨今、里山の復活は重要な取り組みだと思います。
【アルペンホルン】 アルペンホルンより
アルプホルン(Alphorn)またはアルペンホルン(Alpenhorn)は、金管楽器の一種で、木製
円錐管にカップ状のマウスピースを付けて演奏する。スイスなどの山地の住民によって用いら
れる。

◎佐賀新聞(2008/03/16)
県産材木工品やアルペンホルンを展示
吉野ケ里歴史公園(神埼市郡)で開催中の「花とみどりの市」で15日、県産木材の利用を呼びかける「さがの『木づかい塾』」(県主催)が始まった。木の文化や環境保全に森林が果たす役割を紹介している。
県産材の需要拡大と森林環境の維持などを目指す「県産木材利用推進プロジェクト」の一環で、原木から木材に加工されるまでの過程や、森林の役割などをパネルで説明。県産材を利用した学習机や盆などの木工品や、長さ約4メートルの木製アルペンホルンも展示している。いす作りの体験コーナーもあり、親子連れなどが、くぎ打ちに苦労しながらいすを組み立てていた。
嬉野市の木原隆太君(大草野小5年)は「ホルンは音を出すのが難しかった。木がいろいろなものに加工されると知ってびっくり」と話した。「木づかい塾」は20日まで。
【写真】木製のアルペンホルンを吹く来場者=吉野ケ里歴史公園
日本の林業は長年に渡って里山を守ってきました。
里山は自然と人工が調和した、理想的姿です。
しかし、林業は第一次産業の中で一番衰退が激しく、里山を管理する人が居なくなり荒れ放題です。
環境やエコが叫ばれる昨今、里山の復活は重要な取り組みだと思います。
【アルペンホルン】 アルペンホルンより
アルプホルン(Alphorn)またはアルペンホルン(Alpenhorn)は、金管楽器の一種で、木製
円錐管にカップ状のマウスピースを付けて演奏する。スイスなどの山地の住民によって用いら
れる。

◎佐賀新聞(2008/03/16)
県産材木工品やアルペンホルンを展示
吉野ケ里歴史公園(神埼市郡)で開催中の「花とみどりの市」で15日、県産木材の利用を呼びかける「さがの『木づかい塾』」(県主催)が始まった。木の文化や環境保全に森林が果たす役割を紹介している。
県産材の需要拡大と森林環境の維持などを目指す「県産木材利用推進プロジェクト」の一環で、原木から木材に加工されるまでの過程や、森林の役割などをパネルで説明。県産材を利用した学習机や盆などの木工品や、長さ約4メートルの木製アルペンホルンも展示している。いす作りの体験コーナーもあり、親子連れなどが、くぎ打ちに苦労しながらいすを組み立てていた。
嬉野市の木原隆太君(大草野小5年)は「ホルンは音を出すのが難しかった。木がいろいろなものに加工されると知ってびっくり」と話した。「木づかい塾」は20日まで。
【写真】木製のアルペンホルンを吹く来場者=吉野ケ里歴史公園
2008年03月14日
ヤギ死因は硝酸塩
収量を上げるために、農産物には大量の堆肥を与えます。
化学肥料と違い天然肥料なので良いと思っていましたが、こんな落とし穴があるとは…。
人間に対する研究を進ると共に、硝酸塩を減らすための栽培技術開発を急いでもらいたいですね。

◎佐賀新聞(2008/03/14)
同一野菜のやりすぎ注意 ヤギ死因は硝酸塩
昨年12月、佐賀市内の小学校で飼育していたヤギ3匹が死んでいた問題で、県の中部家畜保健衛生所は解剖の結果、餌の野菜くずに含まれていた硝酸塩の体内蓄積による中毒死と診断した。急性硝酸塩中毒は、ヤギや牛など胃を4つ持つ反すう動物に特徴的な症状という。スーパーから譲ってもらった白菜に高濃度の硝酸塩が含まれており、これを一度に大量に与えたことが原因。厚生労働省や農林水産省は「市販の野菜を食べて動物が硝酸塩中毒を起こした事例は聞いたことがない」と話す。
家畜保健衛生所による病性鑑定で、ヤギの血中から正常値の百倍以上に当たる硝酸態窒素濃度がみられた。また、餌の白菜から飼料の安全基準ガイドラインを大幅に超える高濃度の硝酸塩を検出。加えて、外傷や病変がないことから、急性硝酸塩中毒と診断した。
同校によると、夏場は校内に自生している草をヤギの餌にしていたが、草が枯れる冬場はスーパーからの野菜くずを譲り受けており、ヤギが死んだ数日前から、白菜ばかりを与えていたという。
植物は栄養分の窒素を硝酸塩に変えて吸収し、成長するが、堆肥(たいひ)などの窒素肥料を与えすぎると植物内に硝酸塩がたまり、濃度が上がる。この硝酸塩が動物の体内に入ると、健康に害を及ぼす物質に変化する。
このため家畜保健衛生所は「特定の野菜ばかりを与えると中毒になるリスクも高くなる」「餌を長時間切らせると次に与えるとき、食べ過ぎてよくない」などの注意点を同校に通達。現在は、残ったヤギ1匹にわらや草など数種類を混ぜた餌を与えている。
近年、野菜の硝酸塩について農水省には人間の健康に対する影響についても問い合わせが寄せられているという。
食品添加物としてチーズや食肉製品から取り込む硝酸塩については、1日許容摂取量を定めているが、野菜については基準値を設定していない。そのため「今回の白菜が人間に与える影響については化学的データがなく、答える立場にない」といい、「とにかく初めてのケース」と戸惑いを隠せない。
ただ、野菜の硝酸塩は「ゆでる」ことや「漬ける」ことで減少することから、農水省は「現時点で人体に問題があるとはいえない。野菜を食べる健康上のメリットを大切にすべきで、一定の種類に偏らずバランスよく取ってほしい」と強調する。
硝酸塩対策 農水省は硝酸塩を減らすための栽培技術開発や産地への研究支援を実施。海外では国連食糧農業機関(FAQ)と世界保健機関(WHO)の合同専門家会合が「野菜を摂取することの利点からみて、野菜中の硝酸塩量を限定することは適切ではない」と報告したが、一方で、EUは1997年から、レタスとホウレンソウについて含有量の基準値を定めた。
化学肥料と違い天然肥料なので良いと思っていましたが、こんな落とし穴があるとは…。
人間に対する研究を進ると共に、硝酸塩を減らすための栽培技術開発を急いでもらいたいですね。

◎佐賀新聞(2008/03/14)
同一野菜のやりすぎ注意 ヤギ死因は硝酸塩
昨年12月、佐賀市内の小学校で飼育していたヤギ3匹が死んでいた問題で、県の中部家畜保健衛生所は解剖の結果、餌の野菜くずに含まれていた硝酸塩の体内蓄積による中毒死と診断した。急性硝酸塩中毒は、ヤギや牛など胃を4つ持つ反すう動物に特徴的な症状という。スーパーから譲ってもらった白菜に高濃度の硝酸塩が含まれており、これを一度に大量に与えたことが原因。厚生労働省や農林水産省は「市販の野菜を食べて動物が硝酸塩中毒を起こした事例は聞いたことがない」と話す。
家畜保健衛生所による病性鑑定で、ヤギの血中から正常値の百倍以上に当たる硝酸態窒素濃度がみられた。また、餌の白菜から飼料の安全基準ガイドラインを大幅に超える高濃度の硝酸塩を検出。加えて、外傷や病変がないことから、急性硝酸塩中毒と診断した。
同校によると、夏場は校内に自生している草をヤギの餌にしていたが、草が枯れる冬場はスーパーからの野菜くずを譲り受けており、ヤギが死んだ数日前から、白菜ばかりを与えていたという。
植物は栄養分の窒素を硝酸塩に変えて吸収し、成長するが、堆肥(たいひ)などの窒素肥料を与えすぎると植物内に硝酸塩がたまり、濃度が上がる。この硝酸塩が動物の体内に入ると、健康に害を及ぼす物質に変化する。
このため家畜保健衛生所は「特定の野菜ばかりを与えると中毒になるリスクも高くなる」「餌を長時間切らせると次に与えるとき、食べ過ぎてよくない」などの注意点を同校に通達。現在は、残ったヤギ1匹にわらや草など数種類を混ぜた餌を与えている。
近年、野菜の硝酸塩について農水省には人間の健康に対する影響についても問い合わせが寄せられているという。
食品添加物としてチーズや食肉製品から取り込む硝酸塩については、1日許容摂取量を定めているが、野菜については基準値を設定していない。そのため「今回の白菜が人間に与える影響については化学的データがなく、答える立場にない」といい、「とにかく初めてのケース」と戸惑いを隠せない。
ただ、野菜の硝酸塩は「ゆでる」ことや「漬ける」ことで減少することから、農水省は「現時点で人体に問題があるとはいえない。野菜を食べる健康上のメリットを大切にすべきで、一定の種類に偏らずバランスよく取ってほしい」と強調する。
硝酸塩対策 農水省は硝酸塩を減らすための栽培技術開発や産地への研究支援を実施。海外では国連食糧農業機関(FAQ)と世界保健機関(WHO)の合同専門家会合が「野菜を摂取することの利点からみて、野菜中の硝酸塩量を限定することは適切ではない」と報告したが、一方で、EUは1997年から、レタスとホウレンソウについて含有量の基準値を定めた。
2008年03月11日
「甘草」覚書調印(九州大学)
とうとう本格的に動き始めました。
わが町「玄海町」の新たな産業として、大いに期待しています。
◎西日本新聞(2008/03/11)
漢方「甘草」の栽培研究 玄海町と九大が調印 輸入依存を脱却 安定供給目指す
佐賀県玄海町と九州大が2008年度から薬用植物の共同研究を始めることを決め、10日、同町役場で覚書調印式を行った。主なテーマは、日本で生産される漢方薬の約7割に配合されている薬草「甘草(かんぞう)」の栽培法確立で、同町に建設する施設で研究を進め、国内栽培を促進し、メーカー各社への安定供給を目指す。
九大によると、甘草はほぼ100%を主に中国からの輸入に頼っている。しかし、日本の薬事法令では、グリチルリチンの含有率が2.5%以上で生薬用とされるのに対し、中国で自生する甘草は含有率が不均等な上、長年の乱獲による枯渇が懸念されているという。
【甘草】

計画によると、2008年度から九大薬学研究院と同工学研究院が学内での研究を開始。同年度内には玄海町今村の敷地約1.7ヘクタールに研究温室などの建設に着手し、12年度までの5カ年で地元での栽培にこぎつけたい考え。研究成果の知的財産は両者が所有する。
事業費は5カ年で総額約10億円。研究所建設費を町が負担し、原子力発電のプルサーマル計画に同意した自治体に国が支給する「核燃料サイクル推進交付金」を充てる。
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わが町「玄海町」の新たな産業として、大いに期待しています。
◎西日本新聞(2008/03/11)
漢方「甘草」の栽培研究 玄海町と九大が調印 輸入依存を脱却 安定供給目指す
佐賀県玄海町と九州大が2008年度から薬用植物の共同研究を始めることを決め、10日、同町役場で覚書調印式を行った。主なテーマは、日本で生産される漢方薬の約7割に配合されている薬草「甘草(かんぞう)」の栽培法確立で、同町に建設する施設で研究を進め、国内栽培を促進し、メーカー各社への安定供給を目指す。
九大によると、甘草はほぼ100%を主に中国からの輸入に頼っている。しかし、日本の薬事法令では、グリチルリチンの含有率が2.5%以上で生薬用とされるのに対し、中国で自生する甘草は含有率が不均等な上、長年の乱獲による枯渇が懸念されているという。
【甘草】

計画によると、2008年度から九大薬学研究院と同工学研究院が学内での研究を開始。同年度内には玄海町今村の敷地約1.7ヘクタールに研究温室などの建設に着手し、12年度までの5カ年で地元での栽培にこぎつけたい考え。研究成果の知的財産は両者が所有する。
事業費は5カ年で総額約10億円。研究所建設費を町が負担し、原子力発電のプルサーマル計画に同意した自治体に国が支給する「核燃料サイクル推進交付金」を充てる。
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2008年03月09日
タトゥーアートの虎、ふすま絵に。
異色の取り合わせですね。
佐賀県でも、こんな国際交流をドンドンいきたいですね。
◎佐賀新聞(2008/03/09)
タトゥーアート第一人者がふすま絵寄贈
タトゥーアートの第一人者ドン・エド・ハーディーさん(63)=米サンフランシスコ在住=が、有田町のブランド衣料店「空(くう)アンビエンス有田」でふすま絵を制作した。虎などを墨で描き、同店の開店祝いに寄贈した。
ハーディーさんは新たな創作分野として磁器に取り組むため、2005年から同町の李荘窯業所に滞在し、磁器の下絵付けを行っている。今年は3、4日にふすま絵を制作した。「空USA」の支援で作陶できることになった恩返しとして、昨年11月に開業した有田店に作品を贈ることを決めた。
ふすま絵は虎、竜、キューピー、雲の4枚。高さ170センチ、横92センチの上質和紙に描いている。下描きをせず虎の毛やしま模様を墨の濃淡だけで表現し、写実的で躍動感がある。アクリル画中心で水墨画の経験は全くないという。受け取った藤井浩行さんは「作品が素晴らしく、圧倒された。米国ではとても有名な方だけに感激している」と話した。
【写真】虎や雲などを迫力のある筆さばきで描くハーディーさん

ドン・エド・ハーディー オリジナルキャップ(虎)
佐賀県でも、こんな国際交流をドンドンいきたいですね。
◎佐賀新聞(2008/03/09)
タトゥーアート第一人者がふすま絵寄贈
タトゥーアートの第一人者ドン・エド・ハーディーさん(63)=米サンフランシスコ在住=が、有田町のブランド衣料店「空(くう)アンビエンス有田」でふすま絵を制作した。虎などを墨で描き、同店の開店祝いに寄贈した。
ハーディーさんは新たな創作分野として磁器に取り組むため、2005年から同町の李荘窯業所に滞在し、磁器の下絵付けを行っている。今年は3、4日にふすま絵を制作した。「空USA」の支援で作陶できることになった恩返しとして、昨年11月に開業した有田店に作品を贈ることを決めた。
ふすま絵は虎、竜、キューピー、雲の4枚。高さ170センチ、横92センチの上質和紙に描いている。下描きをせず虎の毛やしま模様を墨の濃淡だけで表現し、写実的で躍動感がある。アクリル画中心で水墨画の経験は全くないという。受け取った藤井浩行さんは「作品が素晴らしく、圧倒された。米国ではとても有名な方だけに感激している」と話した。
【写真】虎や雲などを迫力のある筆さばきで描くハーディーさん

ドン・エド・ハーディー オリジナルキャップ(虎)
2008年03月04日
「コカ・コーラ“青春”発見プロジェクト」
佐賀総体関連の話題ですが、多分埼玉でもコカ・コーラが何らかのイベントを開催するでしょうね。
審査結果が発表されたので、参考までにアップします。
「コカ・コーラ“青春”発見プロジェクト」
コカ・コーラは全国の高校生を対象に、「インターハイにまつわる“青春の1コマ“」をテーマとした写真とエピソードを募集します。佐賀県での全国大会に参加予定の運動部員はもちろんのこと、県予選や地区予選で惜しくも敗れた方、応援に参加した方、大会運営のサポートをした方、インターハイ出場を目指して頑張る兄弟や友人を持つ方など、「インターハイ」から“青春”を感じたすべての高校生が対象です。
◎最優秀賞(1名/チーム)
『☆これが友情だべ☆』
青森県立青森中央高等学校3年

◎優秀賞(9名/チーム)
『NURSE戦隊○○レンジャー』
佐賀女子高等学校3年
『インターハイ個人で4位に入賞しました。』
日本工業大学駒場高等学校1年
『マーチングやったゼ』
佐賀学園高等学校2年
『東山テニスメンバー』
東山高等学校2年
『SAGAは暑いばい…』
横浜創学館高等学校2年
『目指すは地元佐賀で全国制覇!!』
東明館高等学校3年
『都立高等学校団体戦秋季大会』
東京都立田園調布高等学校2年
『支部大会 団体準優勝、個人・ダブルス 優勝』
日本工業大学付属東京工業高等学校
『WE WILL WIN』
奈良県立奈良北高等学校
審査結果が発表されたので、参考までにアップします。
「コカ・コーラ“青春”発見プロジェクト」
コカ・コーラは全国の高校生を対象に、「インターハイにまつわる“青春の1コマ“」をテーマとした写真とエピソードを募集します。佐賀県での全国大会に参加予定の運動部員はもちろんのこと、県予選や地区予選で惜しくも敗れた方、応援に参加した方、大会運営のサポートをした方、インターハイ出場を目指して頑張る兄弟や友人を持つ方など、「インターハイ」から“青春”を感じたすべての高校生が対象です。
◎最優秀賞(1名/チーム)
『☆これが友情だべ☆』
青森県立青森中央高等学校3年

◎優秀賞(9名/チーム)
『NURSE戦隊○○レンジャー』
佐賀女子高等学校3年
『インターハイ個人で4位に入賞しました。』
日本工業大学駒場高等学校1年
『マーチングやったゼ』
佐賀学園高等学校2年
『東山テニスメンバー』
東山高等学校2年
『SAGAは暑いばい…』
横浜創学館高等学校2年
『目指すは地元佐賀で全国制覇!!』
東明館高等学校3年
『都立高等学校団体戦秋季大会』
東京都立田園調布高等学校2年
『支部大会 団体準優勝、個人・ダブルス 優勝』
日本工業大学付属東京工業高等学校
『WE WILL WIN』
奈良県立奈良北高等学校
2008年03月03日
飯釜盃祭り
鹿島市重ノ木の世間地区の伝統行事で、釜の形をした盃を飲み干し、厄よけや健康を祈願します。
私も初めて知りましたが、由来が面白い。
日本武尊(やまとたけるのみこと)が同地区を訪れたのが由来で、1000年以上前から始まったとか。
日本武尊に縁のある場所は全国にありますが、まさか佐賀県にも存在したとは初耳でした。
小さな県ですが、まだまだ知らない事がありますね。
【ヤマトタケル】
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本武尊(やまとたけるのみこと、『古事記』では倭建命と表記)こと小碓命(おうすのみこと)、またの名を日本童男(やまとおぐな)は、景行天皇の皇子で、仲哀天皇の父とされる人物。日本神話では英雄として登場する。記紀の記述によれば、2世紀頃に存在したとされる。実際には、4世紀から 6、7世紀頃の複数の大和の英雄を具現化した架空の人物(津田左右吉説)という見方もある。
◎佐賀新聞(2008/03/03)
日本武尊の遺徳しのび「飯釜盃祭り」
日本武尊(やまとたけるのみこと)の遺徳をしのぶ「飯釜盃(はんぎさかずき)祭り」が1日、鹿島市重ノ木の世間地区で開かれた。住民ら約40人が参加し、釜の形をした盃になみなみと注がれたどぶろくを一気に飲み干した。
日本武尊が同地区を訪れたのが由来で、1000年以上前から始まったといわれている。地区の役員らが盃を奉持し松岡神社で参拝。続いて40戸ある地区の男性らが近くの公民館に集まり、神事を行った。直会(なおらい)では飯釜ごと酒を飲み干した日本武尊の逸話にあやかり、釜の形をした盃を飲み干し、厄よけや健康を祈願した。地区の区長は「伝統行事が廃れていかないよう、大事に受け継いでいきたい」と話していた。
【写真】釜の形をした盃に並々と注がれたどぶろくを飲み干す男性ら=鹿島市重ノ木の世間公民館
私も初めて知りましたが、由来が面白い。
日本武尊(やまとたけるのみこと)が同地区を訪れたのが由来で、1000年以上前から始まったとか。
日本武尊に縁のある場所は全国にありますが、まさか佐賀県にも存在したとは初耳でした。
小さな県ですが、まだまだ知らない事がありますね。
【ヤマトタケル】
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本武尊(やまとたけるのみこと、『古事記』では倭建命と表記)こと小碓命(おうすのみこと)、またの名を日本童男(やまとおぐな)は、景行天皇の皇子で、仲哀天皇の父とされる人物。日本神話では英雄として登場する。記紀の記述によれば、2世紀頃に存在したとされる。実際には、4世紀から 6、7世紀頃の複数の大和の英雄を具現化した架空の人物(津田左右吉説)という見方もある。
◎佐賀新聞(2008/03/03)
日本武尊の遺徳しのび「飯釜盃祭り」
日本武尊(やまとたけるのみこと)の遺徳をしのぶ「飯釜盃(はんぎさかずき)祭り」が1日、鹿島市重ノ木の世間地区で開かれた。住民ら約40人が参加し、釜の形をした盃になみなみと注がれたどぶろくを一気に飲み干した。
日本武尊が同地区を訪れたのが由来で、1000年以上前から始まったといわれている。地区の役員らが盃を奉持し松岡神社で参拝。続いて40戸ある地区の男性らが近くの公民館に集まり、神事を行った。直会(なおらい)では飯釜ごと酒を飲み干した日本武尊の逸話にあやかり、釜の形をした盃を飲み干し、厄よけや健康を祈願した。地区の区長は「伝統行事が廃れていかないよう、大事に受け継いでいきたい」と話していた。
【写真】釜の形をした盃に並々と注がれたどぶろくを飲み干す男性ら=鹿島市重ノ木の世間公民館



